たゆ

ロバみみ

レナちゃんに嫌われたくない

「詩織はどっちがいい?」

 

この世で一番苦手な言葉だ。学校という世界のクラスという国のグループという村はいつだって民主主義の皮を被っていて、何度となくこの尋問を受けた。選択体育の競技、今度の休日の行先、マクドかサイゼか。「どっちでもいいよ。」というのは嘘ではなく、本当に、心から、どっちだっていいのだけれど、その答えは正解ではない。誰もが自分が決定したという責任を負いたくないのだ。つまり、この場合、民主の皮の中に居る君主、村の村長、グループで一番強い子(強いって何が?自我とか…。)の意見を会話から察して、そちらに寄り添う。これが完答。そうして私は優しくて話しやすい人当たりの良い子だと好かれ、自分の意見がなく人の顔色ばっかみて人によって態度が変わるウザいやつだと嫌われながら、村で生き残ってきた。

 

概ね嫌われない。わりと好かれる。ただたまに、私の事が、大っ嫌いな人も居る。

 

「あ、み、宮内さん、おはようございます。」

「………はよざいます。」

 

いつもと同じ、ピッタリ五分前に出社してきた宮内レナちゃんは、上司たちとコーヒーを飲みながら駄弁っていた私を一瞥すると、サッサと自分の仕事を始めた。切れ長だけど瞳の大きな目にはもう私などではなく、几帳面にまとめられた書類を映している。宮内さんは今年入社してきた新卒で、私の一つ下で、真面目で仕事ができて、私の事が嫌いだ。

 

特に何かがあったわけではない。挨拶も返してくれるし、仕事の質問だってしてくれる。嫌いだって言われてもない。じゃあなんでそう根拠なく決めつけられるのかっていうと、これはもう長年の経験則だとしか言えない。いくつもの村を生き抜いてきたのだ。私は根拠なんてなくとも、自分の生存戦略に全幅の信頼を寄せている。それにちゃんと論文にしたら、きっと統計的にでると思う。宮内さんのような、しっかりいうか、パキッとというか、自分の好きな自分でいる事を頑張れるような、そんなタイプの女の子はだいたい、私のようなフニャフニャ、ヘラヘラした女は嫌いなのだ。

 

「私はすごい、好きなんですけどね…。」

「だから、小田の気のせいだって。」

 

宮内さんは昼休みは大抵外に出ている。他の部署に居る同い年の子とランチしてるらしい。私は大抵、適当に詰めたお弁当を上司たちの話に適当に相槌を打ちながら食べ、そして食後のコーヒーを、今日はカバオ先輩が持ってきてくれたクッキーと飲んでいる。ちなみにカバオ先輩本人はそう呼ばれていることを知らない。ちょっと仕事が遅い愚鈍さと、あと普通に顔がカバに似てるから、カバオ先輩と陰口されているのだ。悪い人ではないと思うが、多少ウザいという意見には同意。でも私の担当している仕事的に直接関わる事はないので、他の人よりも嫌悪感を持たず接することができるのだと思う。

 

「宮内は結構誰にでもツーンとしてるし。正直、社会人としてあの態度はどうかと思う時もあるけどな。」

 

なんだとこのカバ。宮内さんは仕事中に、人のご機嫌を常に伺いヘラヘラぺちゃくちゃ喋り倒すような、そう、そんな、私みたいな、無駄なことをしないだけだ。私は宮内さんのそんなところがなんとなく好ましい。この気持ちは一本通行なのだけど。何かキッカケさえあればと思う。宮内さんが私の事を嫌いなのもきっとなんとなくだ。なんとなく合わない、なんとなく苦手なだけ。多分。だからきっとキッカケさえあれば、もっと良い関係になれるはずなのだ。

 

「あ~難しいですよね~。」

 

と、肯定でも否定でもない返しをして(こういうところだ私は本当に…)、昼休みが終わり仕事に戻った。そしていつも通りに仕事を終え、いつも通りコーヒーメーカーとみんなのマグカップを洗いながら先に帰る先輩方を見送る。「いいんですよ、お疲れ様でーす。」とヘラヘラしながら。宮内さんは私のこういうところとかむかつくんだろうな。私自身は本当にどうだってよく(先輩に洗ってもらう方が、いいんですかすみませんありがとうございますと口にする言葉も多く、むしろ面倒だ。)、こうして洗い物を引き受ける対価に、先輩方は順番におやつを買ってきてくれるのだ。平和に、円滑に、村が機能している。いつも通り、カップを裏向けに布巾の上に置いて、私も帰ろうとしたとき。「だから、何回も言ってますよね!?」と、大きな声がした。姿は見えないけれど、宮内さんだ。声のした方から人が現れる。疲れた顔のカバオ先輩だった。私を見つけるとやれやれとでもいったように、いやらしく口角をあげた。

 

「今日めちゃくちゃ忙しくてさ、ちょっとプンプンしてんの。」

 

わざとらしく肩をすくめる。やれやれ、を全身全霊で表現しつつ、いつもより早く荷物をまとめたカバオ先輩は軽く片手をあげる。

 

「そんじゃ、お疲れーす。」

「お疲れ様です。」

 

カバオ先輩が去ってまもなく、遠くでエレベーターの音が聞こえた。下に降りたのだろう。同時に、宮内さんが足取り荒く現れ、自分の荷物を手付き荒くまとめ始めた。私がお疲れ様ですとかける声のトーンとタイミングを全力でイメトレしていると、全部を鞄に詰め込み終わった宮内さんが突然ぐるりとこちらに顔を向けた。イメトレ中だったため勿論バッチリ目が合った。ホントごめんたのむこれ以上嫌われたくない。宮内さんは少し驚いたあと、それでも霧散しなかったんだろう、いらだちをこぼす。形の良い唇から。(今はマスクをしているので見えないが、以前ランチタイムをお見かけしたので。)(私ホントきもいなホントごめん。)

 

「大変になるとっ、席外すの。本当にやめてほしい。」

 

現在、彼女の瞳の中心に居るのは私だが、話しているのは私に向けてじゃない。カバオだ。あいつは仕事が忙しく皆が目まぐるしく動かなくてはいけない状況になると、自分はその輪に加わりたくないのだろう、他の、本来然程時間のかからない作業をめいっぱい丁寧にしたり、トイレに立ったりする、カスなところがある。私は直接仕事で関わらない。でも、そうだ。宮内さんは直属の直属だ。

 

「本当に、ああいうとこ、大っ嫌い。」

 

キッカケさえあれば。指先が熱く痺れる。キッカケさえあれば。マスクをしていて本当に良かった、口角が浮つく。キッカケさえあれば。サンタさんに何かをねだることもできない子供だったけど、今は、神様ありがとー!と駆け回りたいほど踵が歓喜に打ち震えている!息が揺れないよう慎重に口を開いた。答えるのは、私の得意分野だ!

 

◇◇◇

 

いつもと同じ、ピッタリ二十分前に出社。いつもと同じ数、より一つ多く、コーヒーを淹れる。

 

「小田おはよう。」

「……。おはようございます。」

「え?」

「なんですか?」

「あ、いや。」

「コーヒー、そこに置いてありますよ。」

 

カバオ先輩は軽く片手をあげた。間抜けなカバ面、させちゃってごめんね。いつもはコーヒー手渡すもんね。でももうしない。カバオが悪い訳じゃないよ。(いやカスなところは悪い)ただ、村におっさんは居ないだけ。

 

「詩織さん、おはようございます。」

 

ピッタリ五分前。

 

「レナちゃん、おはよう。コーヒーいる?」

「ありがとうございます。」

「牛乳あるよ。」

「あ、欲しいです。」

 

あ~~生きてる~~~。

 

 

おわり